霧下そば焼酎「黒姫」の説明

霧下そば焼酎「黒姫」の説明
「黒姫」で使っている霧下そば畑
霧下そば畑での農業体験
プレゼント企画
霧下そば焼酎「黒姫」の買える店
霧下そば焼酎「黒姫」の飲める店
霧下そば焼酎「黒姫」の飲める宿
製造元 伴野酒造のこだわり
Q&A(よくある質問)

新聞・雑誌・HP等での「霧下そば焼酎 黒姫」の紹介

信州黒姫霧下そば倶楽部 信濃町六月のそば畑(フォトシネマ

信州黒姫霧下そば倶楽部



天日干し中の玄蕎麦
1)耕す:雪解けから種を蒔く7月20日前後までの間、畑に雑草が生えないためと、土を柔らかく保つためにトラクターで時々耕します。また、土手の雑草が茂らないようにビーバーという草刈り機で刈り払います。土手は急斜面で、水路に草が落ちないように細心の注意が必要です。最近では人手不足からか除草剤を使う農村地帯も多くなっていますが、黒姫エリアではビーバーが主流です。
2)水路:梅雨に入る前に水路の泥をすくい上げます。自然に堆積した土や泥、沈んだ草などが詰まってしまわないようにします。
3)種蒔き:7月20日前後に蕎麦の実(種)を畑に蒔きます。まず、トラクターで深めに耕した後、たすき掛けにした肥料バケツに蕎麦の実を入れて、均一の歩調で歩きながらばら撒きます(関取が塩をまくのに似ています)。蒔き終わったら、もう一度トラクターで今度は浅く耕して土をかぶせます。
4)雑草管理:蕎麦の育つのは他の雑草よりも早く日光を独占するのと、雑草の発生を抑制する成分を持つ事から畑内に雑草は少なく、土手草の管理をすれば収穫時期までの手間はあまりかかりません。土手草は、畑の山側の一辺は、山側の畑の管理下ですので、コの字が自分の担当となります。
5)収穫:10月中旬にオペレーターに依頼して蕎麦用コンバインで収穫をして頂きます。収穫された玄蕎麦は袋に入った状態で手渡され、唐箕にかけて混ざった茎や他の植物の種、軽い蕎麦の実などを吹き飛ばします。
6)天日干し:選別された重たい(身の詰まった)玄蕎麦を厚手の敷布の上に広げ、天日に当てて干します。30分に一度、ネコ返しと呼ばれる作業を行い、乾燥状態を平均にします。農協事務所にある水分計で15%になるまで、根気よく乾燥させます(収穫時点では20%以上の水分があります)。
7)丸抜き:紙袋に詰めて製粉所に丸抜き(殻を外す)作業を依頼します。丸抜き後、できる限り早く伴野酒造へ持ち込みます。

書家:後藤先生の書
1)製麹原料米を洗い、甑(こしき)にて蒸した後、麹室に引き込みます。
 
麹菌を振って約2日の後、米麹が出来上がります。(焼酎麹には、黒麹、白麹、黄麹がありますが黄麹をつかっております)
2)酒母
清酒同様の酒母造りを行います。
 米麹・水・蒸米に酵母を添加し仕込みます。
 “もろみ”で健全な発酵を行うように優良な酒母を造っております。

3)もろみ(三段仕込み)
信州佐久地方では以前より、多くの清酒蔵で焼酎が造られていました。
 清酒は三段仕込みで造ります。当蔵でもその流れから焼酎も清酒同様の添仕込み・仲仕込み・留仕込みの三段仕込みで仕込んでいます。
 米麹・水・蒸した蕎麦を使い、それぞれの仕込みを行います。
 蕎麦(霧下蕎麦)は、丁寧に手洗いを行っております。最初の添仕込みから約2週間で発酵が終了の形となります。
4)蒸留:一次もろみに蒸した霧下蕎麦を加え、よく混ぜ合わせてアルコール発酵させます。仕込みから約10日ほどで甘く芳酵な二次もろみが生まれます。
5)熟成
蒸留によって精製された焼酎を原酒の状態(35度前後)で貯蔵タンクに移し 熟成させます。
6)加水(和水)
出荷前にタンクにて貯蔵しておいた原酒に水を加え、アルコール度数の調整を行います。(水は黒姫高原から野尻湖を挟んだ対面に位置する斑尾山の山頂付近から湧き出す水を使っております)
2005年11月8日(有限会社 萬屋酒店 高橋 憲さんのレポート)
今日は 朝 いい天気だったので、水汲みに行くことにしました。

ポリタンクをデリカに積み込み、かみさんと二人で 斑尾山中の湧き水の場所まで山は 紅葉していて良い気持ち。

着いてみると 湧き出してる水の音が小さい!
林道から降りてゆくと 流れ出る量も少ない。
少し汲むのに時間がかかりましたが、ポリタンクを
運ぶペースと丁度良くあい 順調に終了。

紅葉した中で 気持ちよく深呼吸して帰りました。

2004年水汲みの様子

 加水後、最低限のろ過処理を行い瓶詰作業を行います。
7)出荷
瓶詰後、一本一本手作業でラベルを貼り出荷します。
 
ラベルの「霧下そば焼酎 信濃の仁右衛門 黒姫」の文字は信濃町在住の書家後藤年春先生にご協力頂いております。
そば焼酎の話
 昭和50年代に入って一気に全国区の人気に 【参考情報】

 そば焼酎は、年間製造量が2万kl余。一升瓶換算で1200万本相当であり、麦焼酎・いも焼酎・米焼酎に次いで4番目の製造量となっている。しかし「麦」「いも」「米」による焼酎造りが江戸時代にまでその起源を遡れるのに対して、「そば」焼酎の歴史はまだ新しい。はじめて製品として販売されるようになったのは昭和48年(1973年)。

 その当時は、いも焼酎は鹿児島・宮崎南部、米焼酎は熊本、麦は大分・長崎など今以上に地域毎に焼酎の原料は明確に分かれていて、宮崎県では、トウモロコシや粟・黍などを主原料にして焼酎が製造されていました。後にそば焼酎のパイオニアとなる雲海酒造の地元の五ケ瀬地方ではそばが特産品であり、これを使ってよりまろやかな焼酎が作れないかという長年の努力の結果、ようやく誕生したのがそば焼酎「雲海」。そして昭和50年代に入るとロックや水割りでもおいしい焼酎として、そば焼酎は一気に全国に広がっていきました。

 最近では、宮崎以外でもそばの産地である長野県や北海道でもそば焼酎の製造が盛んになり、数多くの銘柄が見られるようになってきた。首都圏では、居酒屋や和食店の他にそば屋での取り扱いが多く、そば焼酎のそば湯割りがその相性のよさで人気を集めている。

酒文化研究所 狩野卓也(日刊ゲンダイ8/29掲載)